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仏法は聴聞に極まる

島根はまだまだ梅雨明けしない、ジメジメした日が続きます。

雨が降り続き、道路状況が悪いのか、事故が多いです。

先日も家のすぐ前の街灯に、乗用車が突っ込んで街灯が倒れてしまいました。

今日は、高森先生のビデオ法話で、仏法は聴聞に極まるについて聞かせて頂きました。

『「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。これを「聞」と曰うなり。』                                     
                                             (親鸞聖人)
のお言葉を通して、

「聞く一つで助かる」と「聞いてさえおれば助かる」の違いについて教えて頂きました。

聞く一つで助かると言われるのは、弥陀の呼び声を聞く一つで助かると言うことで、

人間の声でも、真の知識の声でもない。

弥陀の呼び声とは、声なき声、鳴かぬカラスの声を聞く、片手の音、とも言われ、心も言葉

も絶え果てた不可称、不可説、不可思議のことで、お釈迦様は正覚の大音といわれていま

す。

その阿弥陀仏の呼び声一つを求めたお軽同行は

「こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか、聞かにゃ、苦労はせまいと言えど、

聞かにゃ堕ちるし、聞きゃ苦労、今の苦労が先での楽と

気休め言えども、気がすまぬ 済まぬまんまと済ましにかかりゃ、

雑修自力とはねだされ、どうして他力になるのじゃろ」

と流転の心境を述懐しています。

そして、弥陀の呼び声を聞いたお軽同行は

「たった一声聞いたのが、その一声が千人力、四の五の言うたは昔のことよ

そのまま来いの勅命に、いかなるおかるも頭が下がる」

と躍り上がって喜んでいます。

この驚天動地の一念の体験をさせて頂けるところまで聞き抜かねばならないと

思わずにおれません。
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